ドイツ、天然生活。

2016年5月から結婚を機にドイツ暮らしを始めました。 ドイツ語皆無の私がどれだけドイツに溶け込めるのか!? ただいま奮闘中です。

カテゴリ: レビュー

ある暗い過去を背負い、小さなどらやき店で雇われ店長をしている主人公。
ある日、そこのアルバイト募集の張り紙を見て、ひとりの老婦人がアルバイトに志願してくる。
何度断っても通ってくる老婦人が置いていったあんこを一口食べた主人公はその味に衝撃を受け、
彼女にどらやきのあん作りを任せるようになる・・・

樹木希林さんが演じる老婦人の純粋さ、
彼女に出会い、頑なだった心が外の世界に向かって柔らかく開かれて行く周りの人々の姿に心を打たれる映画でした。

あることがきっかけで青春を奪われた老婦人は、ある意味ずっと夢を追う「少女」だったのだと思います。
そして、遠い昔に奪われた青春、遠い昔に奪われた夢を叶えるための場所を探しているときに、
どらやき店の店長に出会う。

映画の登場人物は、ほとんど皆、それぞれが大変な背景を背負っていて、自分が一番不幸せだと思っている感じ。
そこから抜け出そうとしても抜け出せず、人生を諦めています。

でも老婦人に出会ったことで、自分自身を見つめ直し、
自分が置かれた場所で、自分ができるところからやり直していこうと決意します。

大人になって、いろんな人を知り、いろんな世界を見せてもらったり、話を聞かせてもらったりして、
世の中にはいろんな常識があり、いろんな人がいて、
それぞれが自分は大変なんだ、と思いながら生きていることを少し、知りました。
でも、自分が自分の人生を大変だと思うのと同じくらい、
ほかの人もその人自身の人生を大変だと思いながら生きています。

しかし、自分だけが不幸だと思っている人はしばしば、他の人が嘆いていることに対して、かえってどん感で無知になることもあります。
劇中でも、自分だけの人生に躍起になり、また人の痛みにどん感になってしまっているがために、周りを傷つけてしまうシーンがいくつかあります。
そしてそれは、物語のテーマともなっているある問題が、かつて人びとの無知によって捻じ曲げられた道のりを繰り返すことにつながっていくのです。

人に見られたくない、恥と思うようなものを隠す、そんなやり方が、今の日本にもちらちら見えていますが、この映画の老婦人もまた、そんな日本にやり方によって人生を奪われた当事者なのでした。
でも彼女は、そこで自分だけが不幸だと思わず、彼女が持ち得たかすかな希望を大切にしながら、出会った人びとを大切にしながら、生きることを選択しました。

彼女の姿は、確かに世の中には、本当に不幸せな人生に終わってしまう人もいるけれど、
少なくとも、自分で腹をくくって、決意して踏み出せば、人生を良く変えていける人もたくさんいるということを見せてくれていると感じました。

この映画を見て、自分が本当にやりたいことはなにか、それに向かって踏み出したい、という気持ちになりました。


ペルーの奥地で祖父母と暮らしていた熊のパディントン。
平和に暮らしていた彼らだったが、ある日大地震が来て祖父がいなくなってしまう。
パディントンの祖母は彼に大好物のマーマレードを渡し、「ロンドンにいる冒険家の家を訪ねなさい」と彼を大海原へ送り出す…

小さな頃に大好きで読んだパディントンの話を実写で見られるようになると思わなかった。
ほのぼのしていた原作とは違い、映画らしくアクションや大どんでん返しも交えながら進んでいく今作も、大いに楽しむことができた。

身寄りのないパディントンが見知らぬ土地で邪険にされながらも、その素直な心で血のつながらない、けれどとても暖かい「家族」を作っていく様子。最初はパディントンを邪魔者扱いしながらもどんどん巻き込まれていく人間の家族のおかしさと優しさ。

人々が楽しめるように賑やかに作ったこの映画ではあるが、原作のじんわりとした味わい深さはそこここに残っていて、懐かしい気持ちになった。

久しぶりに、パディントンの本を読み返そうと思った。


火星での有人探査中に襲われた巨大嵐により、たった1人で無人の星に取り残されてしまったマーク。
食べ物も水も、助けに来るアテさえない絶望的な状況の中で彼は、科学の力を使って生き残ろうと決心する。。。

アメリカ映画は、特に宇宙系の映画は「愛する人のためにヒーローが死ぬ」と言う、ある種決まりのパターンがある感じがして、あらすじを聞いただけで実際に映画を見ることをしなかったのだが、この映画は観て良かったと言える。
決して希望を捨てない主人公が、絶望的な状況でもユーモアを忘れず一つ一つの課題をクリアし、それを仲間が助けに行き、誰も死なずにハッピーエンドで物語が終わる。
誰も死ななくても、派手な事はしなくても(まぁ、SFだから絵面は派手ですけど)、人は感動するのだ。
珍しいことに、主人公につきものの恋人も、家族もこの映画には出てこない。
代わりに、彼の仲間達の愛する人々が彼らを案じる姿がたくさん出てくる。
とかくヒーローがもてはやされ、その他の人々(つまりほとんどの人。私を含め)は「背景」として扱われる映画や実際の世界の中でも、この映画は時代を生きるすべての人々がそれぞれに歴史を持ち、こだわりを持ち、人生を持ってこの瞬間を生きているのだということを教えてくれているような気がした。

ただ時代が変わったなと思うのは、マークへの食料を積んだロケットが爆発してしまった時協力を申し出たのが中国だったということだ。
そして、マークの期間を帰還を願う世界中の人々のシーンでも、アメリカとロンドン、そして中国が写し出されたことである。

私は自分が日本人であるということに奢った事はないのだが、こんなときに出てくるのはまあ、日本ではないのかと少し引っかかった。

久々に人々に希望と勇気を与える映画を見られて嬉しかったのだが、アメリカから見ての日本、アメリカから見ての中国と言うものの存在の変化が少し見え隠れする、ちょっと気になるところもあった。


1975年ボストン。
しがないギャング、バルジャーはある日将来有望な政治家である弟・ビリーに昔幼なじみだったコノリーがFBI捜査官として故郷に戻ったことを伝えられる。
アイルランド系ギャングとして敵対するイタリア家マフィア昔幼なじみだったコノリーがFBI捜査官として故郷に戻ったことを伝えられる。
アイルランド系ギャングとして敵対するイタリア系マフィアの壊滅を目論んでいたバルジャーは、「情報屋」としてコノリーと協力関係を結ぶことに。
情報を流す見返りに何をしても逮捕されない特権をえたバルジャーは次第にその凶暴性を極め、雇ったコノリーもFBI内部での存在が危うくなっていく…

ギャングとFBIと大物政治家の癒着事件と言ういかにもな話だが、なんと実話。
バルジャーの逮捕がなんと2011年と言う最近の話で、その頃私も彼が逮捕されたカリフォルニアにいたと言う偶然もあり(ニュースを見てなかったので全然知らなかったけど)、最初から最後まで興味深く見た。
家族やお世話になったお年寄りには優しく接するジョニーデップ扮するギャングが、手下でさえも容赦なく殺していく様子は、なんとも言えなかった。
ギャングを兄に持つビリーの苦悩はいかばかりだったのか。
バルジャーが逮捕された後もエリート街道を突き進んでいた弟も「家族愛」だったのか、バルジャーと連絡を取り、成功への道を閉ざされてしまう。
結果としてイタリアマフィアは壊滅できたようだが、その代わりにギャングとは言えたくさんの人々が殺されてしまった。
一体何が善で一体何が悪なのか。
何が成功で、何が到達すべき目標だったのだろうか。
逮捕される瞬間の、バルジャーの老いさらばえた背中を見ながら、とてつもない虚無感に襲われた。

普段はバリバリのクイーンイングリッシュを話すカンバーバッチがアメリカ英語を話すのもびっくりした。

おじさんばかりの映画館でした。
骨太。


このページのトップヘ